ドキュメンタリー いのちの林檎
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解説

作品あらすじ

化学物質過敏症の早苗さんは、近所のゴルフ場の農薬散布で息ができなくなり、母と二人で呼吸できる場所を探して車で旅にでる。しかし農薬や排気ガスで発作を起こし、旅は困難を極める。二人が辿りついたのは標高千メートル地点でのテント生活。しかしそのテント生活も安全ではなかった。また大阪の入江さん一家の長男紘司さんと次男茂弘さんは、学校の無理解から重症の道のりをたどることになる。

化学物質過敏症とは

人々は地球環境にようやく危機感を持ち始めました。

「地球が危ない」 「CO2削減だ」 「昆虫が汚染されて絶滅種が増える」

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報道では毎日のように同じ言葉が繰り返し流されています。しかし危ないのは地球環境だけでしょうか。実は我々の身体も様々な化学物質に汚染され続けているのです。住んでいる家から、食べ物から、外を歩けば排気ガス、電車にのれば殺虫剤、煙草の煙、街路樹の農薬、しらずしらず化学物質を鼻から喉から皮膚から吸収し、身体の中に溜めこんでいます。そしてその蓄積が、ある日突然限界点に達した時、化学物質過敏症を発症します。

発症すると、つい昨日まで使っていた生活必需品が牙をむいて襲いかかってきます。合成洗剤、消臭スプレー、芳香剤、柔軟剤、化学物質の僅かなニオイも耐えられなくなり、頭痛や吐き気、呼吸困難などを引き起こしてしまう、そんな恐ろしい病気が、化学物質過敏症なのです。

いのちの林檎 とは

弘前市の林檎農家 木村秋則さんの林檎、奇跡の林檎と呼ばれている。17年の歳月の末、無肥料無農薬で実った林檎。
>>木村さんの林檎

早苗さんと林檎の出会い

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このドキュメンタリーの主人公早苗さんは、自宅の新築でシックハウスになった後、近所のゴルフ場の農薬散布で化学物質過敏症を発症しました。しかし病名がわかるまで6年かかり重症になってしまいました。

そして ある日突然、お鍋から食器から食べ物から全てに拒絶反応が起こり、水が一滴も飲めなくなったのです。水が飲めなくなって4日間、脱水症状があらわれはじめました。こんな時、普通の病人だと救急車を呼んで病院で点滴ですが、この病気は化学物質だらけの救急車にも乗れないし消毒液や化学薬品が充満している病院にも行けません。母道子さんは、専門医にどうしたらいいか問い合わせましたが、専門医の答えは「浄水器を替えなさい」でした。だが浄水器を替えても上手くいかず、途方に暮れたといいます。その後、自然食品屋さんに次から次へと電話をし「娘が口にできるものはないかと」たずねました。そして十何件目で「うちに無肥料で無農薬の林檎があるから、試してはどうか」と言われ、その林檎を手に入れ、早苗さんの身体の中に林檎の水分が入り、生命の危機から脱することができました。その林檎が木村さんの林檎だったのです。

<いのちの林檎>は、早苗さんの他に、入江紘司さん、茂弘さん兄弟の化学物質過敏症の青春も描きます。

化学物質過敏症の人々は、周囲の無理解から重症になるケースが多い。入江さん兄弟の場合は、学校だった。

大阪の入江さん一家

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日本ではじめて化学物質過敏症を実名公表した入江さん家族。
1994年、大手Mホームによる自宅の新築で入江一家5人がシックハウス症候群になり、瞬く間に両親も3兄弟も全員化学物質過敏症になりました。

長男紘司さん(26歳)次男茂弘さん(22歳)

二人はそれぞれ、中学校と小学校の教師から、整髪料を嗅がされたり、わざと理科室の薬品を嗅がされたりして重症の道のりをたどることになった。


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